欧州や米国を転々とし、
たどり着いたネオン管加古。
県下で数少ない職人となった。
子どものころ憧れた大空でスカイスポーツを楽しみ、
地域活性化の一手を温めている。
都城市平江町で育った子ども時代。
模型や動くものが好きで、
中学ではバルサ材で作った模型飛行機で県大会3位に、
都城工業高電気科を卒業後、
首都圏の大学を3年生で中退して欧州、
米国などを働きながら渡り歩く、
30歳を前に地元に戻り都城駅前で
喫茶店を始めたものの、
10年ほどで閉めた。
「本当にやりたい事は別にあると思った」
市内で開いた雑貨店に置く品の買い付けで
渡米した際、
ハリウッドのネオンサインに「こんなきれいなもはない」と心を打たれ、
39歳でネオン管加古の道に進む。
今は下水東の製作所で一人、
こだわりを持つ南九州一円の店からの注文通り、
ガラス管を曲げ加古している。
趣味では、かつて模型飛行機を飛ばした空を、
米国で見たハングライダーに
衝撃を受けて飛ぶようになる。
鹿児島で練習し、「最初は数秒浮いただけで嬉かった」。
地元で楽しみたい~という意欲が、
金御岳の離陸場や2009年まで続いた
スカイフェスタ開催につながった。
「トローンを産業やレジャーに生かす特色の研究を始めたところだ。
もちろん、中心に若い人に任せる」と
言いながら、目は輝いたままだ。
(宮崎日日新聞 10月23日 抜粋)
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