SSブログ

宮崎市 「レンタカー県内好調 東九州道開通追い風」 [宮崎市]

「福岡から車を走らせるより、

飛行機で宮崎まで来てレンタカーを

借りた方が楽、

宮崎は道路も走りやすく景色もいい」。


友達と青島神社など県内のパワースポット巡りに

訪れた会社員、磯村弘美さん(36)=

福岡市=は声を弾ませた。


家族旅行で本県に来た会社員、

大西英治さん(28)=同市=は

「子どもが小さいので電車やバスでの移動は

周囲に気をお使い負担。



最近は飛行機とレンタカーを使った

旅行ばかり」と笑顔を見せる。


レンタカーの車両台数は順調に推移。


国土交通省の調べで、2,014年3月末は6044台と

前年同時期に比べ13%伸びた。


県レンタカー協会は「若者の車離れや 

節約志向の高まりにより「買う」から「借りる」という

考えが広がっている。


他業種から参入も増えた」と説明する。


オリックスレンタカー宮崎空港フェニックス店では、

9月のシルバーウィーク(SW)は1ヶ月前に

予約で埋まったといい、

堀井恒治店長は「今年は特に多く、

周辺の店も車が足りなかったぐらい」と

うれしい悲鳴を上げる。


大分県で車を借りて

本県で返却するケースも増えており、

「東九州で宮崎市と大分市が

つながった影響では。


(この数年高速道路が次々と開通し)

カーナビに最新の情報が反映されないのが悩み」と

苦笑いする。


一方で新たな問題も出てきた。


「レンタカー会社の送迎者が空港や駅に

乗り入れる専用の乗降場所が足りず、

利用者にとって不便」と、

県レンタカー協会理事でトヨタトレンタリース宮崎の

有田秀博専務。


「本県のおもてなし向上のためにも

改善してほしい」と要望する。


みやざき観光コンベンション協会の

甲斐祐二観光推進局長は、

外国人観光客が団体旅行から

個人旅行にシフトしていると指摘し、

今後レンタカー需要が高まるとみる。


「海外からの誘客を図る上で本県の

課題となっている2次交通手段を充実

させることが重要。


道路標識やカーナビの多言語化も

進めていかないといけない」と話す。

(宮崎日日新聞 11月30日 抜粋)

宮崎市 『県内キッチンカー 一堂 宮崎市内で「食の博覧会」』 [宮崎市]

県内のキッチンカーが参加する第1回

「キッチンカーと食の大博覧会」が29日、

宮崎市の大淀川河川敷であった。
キッチンカー食の博覧会.jpg

県産品を使用したうどんや肉巻きおにぎり、

ロールケーキなどを販売する23社の店舗が並び、

約2,500人の来場者でにぎわった。


今年3月に発足した県移動販売車協会(今村恒憲会長)が主催。


キッチンカーは車内に調理設備を整えており、

同協会は衛生管理のほか水道、

電気、車体の大きさといった

整備面で独自の審査基準を定めている。

夫婦で来場した宮崎市の40代女性は

「間近で料理の課程を見て、

その場で食べたり、 

持って帰ったりでできる

おもしろさがある」と話した。


今村会長は「全員の情報交換、

客とのコュニケーションの場になる。


最終的には九州内のキッチンカーを

集めた催しを開きたい」と語っていた。


会場では出品した店舗の人気を競う「ひなた創作料理!総選拳!」や、

ひょっとこ踊り、ヨヨーパフォーマンスなども行われた。


(宮崎日日新聞 11月30日 抜粋)

宮崎市 「男声宮崎メンネルコール 台湾合唱団と友好協演」 [宮崎市]

宮崎市の男声合唱団グループ「宮崎メンネルコール」(中馬章一代表)

メンバーら31人は、カナダのバンクーバー市開かれた

バンクーバー台湾合唱団(ジェニー・リン団長)の

創立25周年記念演奏会にこのほど出演した。


同市の聖アンドリユース・ウェズレイ教会で

童謡や唱歌など6曲を披露。


カナダ在住の台湾出身者らと協演するなど

海を越えて友好を深めた。


同グループは2009年、宮崎ー台湾の国際定期便再開を願って

台湾で開かれた親睦交流会に参加。

以来、台湾の合唱関係者と交流を継続させてきた。



それがきっかけとなり、台湾出身のバンクーバー市在住者で

つくる同合唱団からの招待を受け、

今年6月から練習を重ねてきた。


演奏会には約70人が出演。同グループは「野バラ」

「早春賦」」などを披露。


各曲とも前半は日本語で歌い、後半はドイツ語で歌った。


また同合唱団との合唱団との合同ステージでは、

「赤とんぼ」や「望春風」など両国の代表曲を

それぞれの言葉で合唱した。


中馬代表は「これまでの交流の積み重ねのおかげで、

お互いに最高の歌声を交換し合えた。


今後も合唱を通じて、宮崎と台湾の交流を活性化させたい」と話した。


(宮崎日日新聞 11月26日 抜粋)

宮崎市 「西米良の「冬」イベントPR キャラバン隊来訪」 [宮崎市]

西米良の「冬)イベントPR キャラバン隊が25日、

宮崎市の宮崎日日新聞社を訪れ、

12月から来年2月まで開かれる

「カリコボーズの冬祭り」をPRした。

同村のキャラクター「精霊カリコボーズ」も

「1年の節目として神楽を見に来てくりゃホイ」と

呼び掛けた。


同隊は夜7時まで舞う「西米良神楽」(12月5、12、19日)や、

村民とカリコボーズの数を合わせた約1,200個の

ホオズキを飾り付けた「ほうずきクリスマスツリー」点灯式、

ユズ販売やゆず風呂が楽しめる「ゆた~と冬至フェア」

など29のイベントを宣伝した。


牧幸洋総括補佐は「イベントやおもてなしを

用意しているので村民と交流し、

1年の疲れを癒やしてもらいたい」と

話している。


期間中は毎週末、村内で各種イベントを開催する。


(宮崎日日新聞 11月26日 抜粋)

宮崎市 「せんぎり大根 コチョウラン 宮崎ブランド認証 推進本部」 [宮崎市]



県とJA宮崎経済連でつくるみやざきブランド推進本部(新森雄吾本部長)は25日、


「みやざきせんぎり大根」と「みやざきコチョウラン」を新たに


みやざき商品ブランドに加え、


産地のJA宮崎中央に認定証を交付した。



8分類の認証のうち「オリジナリティ認証」を受けたみやざきせんぎり大根は、


全国シェア9割を超える本県の伝統的な加古野菜。


認証基準として、天日乾燥に加え、減農薬栽培、

異物混入防止など原料生産から加古まで品質管理を

行うことが求められる。


みやざきコチョウランは、今年10月に新設された高品質

花き認証の第1号。


花の大きな品種で花茎が3本以上、花の総数が12輪以上、

小ぶりな品種ではそれぞれ5本以上、

50輪以上などの基準を設けた。


宮崎市のJAビルであった認定証交付式には関係者ら


17人が出席。



県農政水産部の郡司行敏部長が生産者の

代表に認定書を手渡した。


JA宮崎中央せんぎり大根部会の長友久会長は

「ブランドに恥じないよう、

これまで以上に良いものを作っていく」と決意。

同洋ラン部会の桑畑新一会長も

「基準を最低ラインと位置付け、

さらに高品質なものを生産するきっかけにしたい」

と話してた。


みやざき商品ブランドは計39品目となった。

(宮崎日日新聞 11月26日  抜粋)

宮崎市 「花や植栽まちづくり全国コン 一理山シバザクラ優秀賞」 [宮崎市]


花の植栽や緑化によるまちづくりの貢献度を競う

「第25回全国花のまちづくりコンクール」で、

団体部門優秀賞に宮崎市高岡町の一里山地区

ふるさとづくり推進協議会(福田忠義会長80戸)、

企業部門激励賞に同市赤江の宮崎空港ビルが選ばれた。

シバザクラ拡大.jpg
一理山推進協は、2007年に発足。

一部住民が農道沿いで行っていたシバザクラの植栽を広げ、

地域づくりを始めた。


現在は、農道沿いの土手や農地など総延長2㌔にわたり約15万本を植え、

開花時は住民のおよそ50倍に上る

約1万人の鑑賞者が訪れる。


苗の生産から植栽、管理まで全て住民が行い、

地域ぐるみで活性化につなげていることが

評価された。


福田会長(72)は「2株の苗から始めた植栽が

評価されてうれしい。


今後も住民一体となり九州一のシバザクラの里を

目指したい」と慶ぶ。


12年の優秀賞に続き、激励賞を受賞した宮崎空港ビル。


空港や周辺道路でのブーゲンビリアなどの植栽や、

清掃活動などが評価された。 


11年に空港周辺の企業と宮崎空港線修景美化推進協議会を発足、

一帯の植栽活動に着手した。


13年には市民団体や企業ら116団体で

花ボラネット宮崎を設立。


空港周辺だけではなくJR宮崎駅や宮崎港、、

市街地での植栽や清掃に取り組み、

街全体を花と緑で彩っている。


同社総務部環境美化課の内山次夫リーダー(62)は

「空港利用客や地域住民からも喜ばれている。


次回こそ大賞を狙う」と意欲を新たにしている。


コンクールは、市町村、団体、個人、企業の4部門があり、

本年度は全国1,904件の応募から大賞4件、

優秀賞9件、奨励賞10件などが選ばれた。


(宮崎日日新聞 11月25日 抜粋)

宮崎市 「サクスホンが奏でた文科省唱歌」  [宮崎市]

魅惑的で華やかでもあるビゼ「カルメン」を編曲したF・ボルヌによる

「カルメン・ファンタジー」の後、

アンコール曲として演奏された「ふるさと」に

思わず涙腺が緩んだ。


おととい、宮日音楽コンクール表彰式であったUMKプレゼンツ特別演奏。

サクソホン奏者の村田祐和さんが小1時間に及ぶ

演奏に続いて奏でた曲だ。


日本人ならばメロディーが耳に入ると同時に

「ウサギ追いしかの山~」の

歌詞に変更される交響曲である。


村田さんは日向市出身、東京芸大から同大学院を修了。

日本管打楽器コンクールで審査員満場一致の1位。


ソリストもしくはオーケストラのサクソホン演奏者として

おもな楽団と共演を重ねている。


その人にして初めて挑んだ宮日音楽コンクールは予選落ちした。


ほろ苦くてもアイザックスターンの名を冠じた

ホールに立ったことは貴重な経験に

なったという。


アンコール曲の選挙は同じく表彰式に先駆けて演奏した

みやざきジュニア特別賞など受賞した音楽家の卵たちへの

激励でもあったはずだ。


ふるさと3番の歌詞には「こころざしをはたしていつの日にか帰らん」

とある。コンクールから巣立った彼ら、

彼女らがふるさとのホールで満場の聴衆を前に歌を、

ピアノを弦楽器を、管楽器を、打楽器を演奏する日を楽しみに

待ちたい。


(宮崎日日新聞 11月25日 抜粋)

宮崎市 「小学生向けの職業体験催し」 イオンモール宮崎  [宮崎市]

「小学生向けの職業体験催し」

小学生向け職業体験イベント「第1回みやざきtheキッズモール」は

15日午前10時~午後5地、

宮崎市のイオンモール宮崎2階イオンホールで

開かれる。


県中小企業団体中央青年部主催。

自動車整備や室内装飾、

広告美術などを手掛ける県内

13の事務所が仕事の内容や魅力を伝えるほか、

壁紙の貼り付け、

タイヤの点検・整備ミニ畳の製造、

インターホンの都立付けなどが体験できる。

入場料 無料

お問合せ先中央会総合支援課

電話0985-(24)-4278
(宮崎日日新聞 11月14日 抜粋)

宮崎市 「宮崎を題材に「百人一首」 20回節目記念し製作へ」 [宮崎市]

若山牧水賞運営委員会は11日、

若山牧水賞20回の節目と生誕130年を記念し、

歌集「みやざき百人一首」を製作すると発表した。


同委員会が「高千穂神楽」「宮崎牛」を始めとする

県内の文化や名所、食材などを題材に、

同賞選考委や歴代受賞者ら歌人100人に

一首ずつ依頼。


各歌人が現地を訪れるなどして作成した歌と題材の

12月から県内主要書店などで

発売予定。


会見で選考委員会は「名だたる歌人が工夫を凝らし

作歌した。


本人による歌へのコメントもあり、

読み応えのある一冊。


宮崎県の観光案内という一面もあるのでは」と話した。



また、関連イベントとして2016年1月18~27日、

宮崎市の宮日会館で同書の製作に

使われた生原橋のパネル展を開催する。


2月以降は県立図書館、延岡、日向市でも

巡回予定。


百人一首は来年1月1日から計100回、

宮崎日日新聞紙上で掲載する。


 (宮崎日日新聞 11月12日 抜粋)

宮崎市 「県内初の職業教育校」 110周年 [宮崎市]

宮崎市・宮崎工業校(竹下弘一郎校長、535人)が

創立110周年を迎えた。

県内初の職業教育学校として産声を上げ、

1世紀以上にわたって本県の工業を

リードする人材を輩出してきた。


同校の歴史をひもとき、

今を伝える。(題字は川越珠希、

挿絵は魚見侑加=いずれもインテリア科2年)

産業革命により、技術を持つ人材の育成が

国の急務となっていた1905(明治38)年。


宮崎工業高は宮崎郡立職業学校や群役場や

郡会議事堂が隣接する宮崎尋常高等学小学校(現・

宮崎小)の一角に開校した。


男子44人、女子43人が入学。


男子部には木竹、漆工科、女子部には掲げられた

表札は今の校長室入り口に飾られている。


女子部は18(大正7)年に

宮崎郡立技芸女子高として分離。

こもとき、校名が県立工業高校へ変わった。

校舎が今の天満町に移ったのは(昭和15)年。


先に独立した県立宮崎女子高等技芸と向かい合う

形になった。


39年に新設された応用化学科の第1期生として

入学した黒木義幸(90)=同市内海=は、

2年生から新校舎で勉学に励んだ。


だがこの年、第2次対戦が始まり

教育現場も戦争一色になった。


「学校生活は銃を持っての軍事訓練が中心で、

心身ともに厳しかった。

だけど、そんな時に新しい校舎で勉強でき、

今までなかった体育館で剣道ができたことは

格段にうれしかった」と振り返る。


48年、学制改革により、

宮崎女子高等技芸学校の流れをくむ

県立第二宮崎高等女学校と、

県立宮崎農業高校と統合。


3校供合により、県立宮崎大淀高が誕生する。


普通、工業、農業、家庭、定時制の

5課程で多岐にわたる分野での人材育成が始まった。


だが、宮崎大淀高も長く続かない。


59年には農業課程が県立宮崎農業学高として独立。


62年には、普通と家庭課程が県立宮崎大淀第二高

(現在の宮崎商高)として分離する。

現在の校名に落ち着いたのは65年のことだった。


(宮崎日日新聞 11月11日 抜粋)


Copyright © 宮崎の気になる新聞記事特集! All Rights Reserved.
当サイトのテキスト・画像等すべての転載転用、商用販売を固く禁じます
イオンの株主優待

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。