一ツ瀬川に堰(せき)を設け、下流一帯に広がる豊かな田園風景の磯を気付いた
金丸惣八(1825~98年)の遺徳をしのび、金丸堰土地改良区連合
(福井太理事長)は17日、新富町新田で
記念祭を開きました。
惣八は同町新田・柳瀬地区出身の佐土原藩士です。田損から米を購入して暮らしを
立てる地域住民の生活を見かね、堰や用水路の建設に尽力し
、堰は71(明治4)年に完成しました。
その後、伊倉地区の松本覚兵衛(1826~97年)が資材をなげうち、
水を引くためのトンネル整備などに当たり、現在では同堰から同町、
宮崎市佐土原町、西都市の水田約1006㌶に
農業用水が供給されていました。
同日は、町役場や農業関係者、遺族ら約50人が主席しました。記念碑前で神事が
執り行われ、各団体の代表者や遺族の金丸雅弘さん(57)が
玉串を奉納しました。
福井理事長(63)は「堰は長年、一ツ瀬川流域の水田を潤してきました。
先人が苦労して築き上げたものをしっかりと引き継ぎ、残していかなければならない」と
話していました。
宮崎日日新聞 2月20日より抜粋
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