西都市教委は3日、国指定史跡日向国府跡(西都市右松)で、
8世紀後半から置かれた国の役所「国庁」よりさらに古い時代の役所「
官衙」の柱跡を
発見したと発表しました。
建設時期は遅くとも8世紀前半で初期の国庁の役割を果たした建物の可能性もあります。
7世紀末から8世紀前半の律令国家成立期の日向国は、
国庁が造営されるまで文献以外では空白のため、
当時の統治形態を考える上で貴重な遺構といいます。
同市教委によると、国府は奈良、平安時代に国ごとに置かれた行政機関、
住居などが集まる都市空間。
律令制が敷かれた7世紀末ごろから各地に成立しました。
8世紀後半の造営とされる日向国府跡ではこれまで国庁「
正殿」や「
東脇殿」、
「
西脇殿」跡などが発見されています。
官衙跡は国庁西脇殿跡のさらに西側で発見されました。
昨年度の調査で主殿部の柱跡が見つかっており、
本年度の調査で南北に2棟(長さ25メートル、幅3・3メートル)の柱跡35本を発見。
南側には堀の柱跡も確認しました。
県が1998年度に行った調査で、主殿部の北側に東西に延びる柱跡が発見されており、
市教委は主殿部を50メートル四方の建物や堀で囲う「
長舎囲」と呼ばれる造りの
官衙と断定しました。
7世紀末から8世紀前半の「
日向国」については「
続日本紀」などに
記述が出てくるものの遺物や遺構は確認されていません。
津曲主任主事は「
国庁と官衙の西辺がほぼ同じ位置で発見され、
建物の連続性が確認できているので初期の国庁である可能性は高く、
長く日向の中心が置かれた場所であることが分かる」と話しています。
ただ、官衙が一般的な国庁(90メートル四方)と比べ規模が小さいことや
遺物が出土していないことから、国の下に置かれた郡の役所の可能性もあるといいます。
市教委は7日に市民向けの説明会を開く予定です。
宮崎日日新聞 3月4日より抜粋
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