1月、美里町南郷に韓日文化交流会議の鞠守鎬委員=元韓国・国立舞踊団長=の
姿がありました。同町の神門神社(村田誠司宮司)と木城町の
比木神社(橋口清文宮司)が毎年行っている「師走祭り」の視察でした。
7世紀、白村江の戦いで新羅・唐に敗れた朝鮮半島の古代国家・百済の王族は
日本の畿内地方に亡命しました。その後、動乱から筑紫を目指したが
瀬戸内で激しいしけに襲われ、父の禎嘉王は日向市・金ケ浜、
長男の福智王は高鍋町・蚊口浦に漂着しました。
神門に比木にそれぞれ逃れたと伝わります。
祭りは比木神社に祭られる福智王が年に1度、神門神社に祭られる父・禎嘉王を
訪ねる行事です。早朝に比木を出発し、次男の華智王を祭る
同市東郷町・伊佐賀神社で向かえに来た父と合流します。
2泊3日、神門で共に過ごします。「人の心を感じる祭り」と
比木神社の伶人・永友暢輝さん(31)は言います。
”比木の神さん”と親しまれ、神門の住民から温かなもてなしを受けます。
戦前は百済王にちなむ行事だということは隠されていたというが、
千年以上も地域に守られてきました。
比木には福智王の母・之伎野を祭る高鍋町大年神社を訪れる行事もあります。
久々に会った子を思う母心から神社の物がなくなると伝わるため御神体を
連れた一行は社殿に入れません。家族の絆を重んじる行事が各地に残っています。
「人間愛を感じた」と6月に再度視察に訪れた鞠委員はこう述べました。
国交正常化50周年の節目に一行を招待することを決めました。
今回鞠委員が注目したのは祭りの中で奉納される比木神楽です。
「地元住民が受け付いていく神楽のような舞が韓国には残っていない。
祭りと共に紹介したい」と話していました。
鞠委員は韓国での日本の大衆文化解禁に合わせ1999年に設立した同会議の
第3期メンバーです。韓国では地上波での日本のドラマ放映が
制限されているなどいまだに文化交流に課題があり、
鞠委員らが2012年にまとめた政府への提言書では、伝統芸術を含め
交流の活性化を求めています。
一行は1993年、百済の里づくりを進めていた旧南郷村が
「1300年目の故国帰り」と銘打ち両神社の御神体を連れて初訪韓しました。
御神体は飛行機のビジネスクラスに搭乗し、現地では警察が警護しました。
1994年の百済文化祭、2010年の日韓交流おまつりでも祭りを再現しました。
全州市で比木神楽も奉納したこともあるが、長時間舞うのは初めてです。
「友好に寄与できれば」、両神社は要請を受け入れ韓国公演へ向けた準備を始めました。
木城町の比木神社などに伝わる比木神楽が10月、
韓国・ソウルなどで奉納されます。
日韓交流の経緯や舞に込めた思いを探りました。
(宮崎日日新聞 9月29日 抜粋)